かって河内地区と室津の往来は室津街道と呼ばれ、馬場の高西家は西国大名などの
往来に備えた本陣を務めていました。馬場はかって澤村と呼ばれ、江戸時代前半に
馬場と改称されました。街道に面した本陣には樹齢500年とされるヒノキの大木があり
旅人の道標になっていたと伝えられています。
(現在、ヒノキは幹のみが現存、建物は非公開)
本陣高西家

かって河内地区と室津の往来は室津街道と呼ばれ、馬場の高西家は西国大名などの
往来に備えた本陣を務めていました。馬場はかって澤村と呼ばれ、江戸時代前半に
馬場と改称されました。街道に面した本陣には樹齢500年とされるヒノキの大木があり
旅人の道標になっていたと伝えられています。
(現在、ヒノキは幹のみが現存、建物は非公開)